今日もどこかで誰かが死んでるなんて毎日考えてたらきりがないし今この瞬間もどこかで誰かの命が絶たれているかもしれないのにこの日だけを特別視するのはどうしてなのか。
もうむかしの感覚なんて忘れてしまったけれど8月31日に死にたくなったのは本当の事だし実行に移せなくて今ここで生き延びているのも事実なの。
明日からまたいつも通りの毎日が始まる日常がかえってくる戻ってくる逃げられない日々が始まるならもう逃げたまま死んでしまった方が幸せなんじゃないのか苦しんで生き延びるよりここで息を止めてしまった方が楽になれるんじゃないのかやはり死しか希望がない。なんて
普通に生きている子の方が多いから普通って言われてるんだろうけれどその普通のふるいから落とされてしまう子だって何人もいる。わたしも普通からは外れてしまったけれど人間として生きるだけのふるいには残れた。でもこれはきっとわたしが恵まれていたからで、そうじゃない子はきっと落ちてしまうと思う。
ふるいなんて物があるから良くないのねきっと。
死なないでとは言えないし死んでも良いよなんてわたしの口からは絶対に言えない。
何も言えないけれどほんの少しだけでも幸せを見つけて明日に向いて欲しいなと思う。でもそれが難しいのも事実だし明日を向くことができるなら死にたいなんて思わない。
ほんの少し闇から目を逸らせたら、回りが全部闇だったとしても、逸らした先が幻だったとしても、死なないでほしいって、わたしはそう思うの。
自分は簡単に死にたいと思うし死んでも良いと思っているけれど他人の死になるとこうも止めたくなるのは何故なんだろう。他己肯定感とかなのかしら。皆生きてて偉い。わたしは生きてて愚かね。